自分の意思で現在の状況を選んでいる。
2006年 04月 21日
例えば仕事をして報酬を手にすること。
労働する事によって給与をもらうわけだから責任の度合いや労働力の度合い、
その人にしかできない特別な技能、世間体を考えると誰もがやりたがらない
辛い仕事になればなるほど報酬が高くなるのは当然。
時には明らかに自分のミスではなくても大きな声で罵られる時もあるし、
ひたすら謝罪し続けなければならない時もある。
胸はどきどきするし、生きた心地がしないし、食欲もなくなるし、
落ち着いた頃にはなみだがぽろぽろと音もなくただただ流れる。
私自身がもっと強い精神力を持っていたら
涙のコントロールができるのだろうけど
どうしても出来ない。まだまだだなぁといつも反省。
そういう状況の時にこころのなかで誰かを責めるほど
こころが貧しくて醜いことはないと私は思う。
責任のある仕事をしてそれなりの報酬をもらっている身なのだから
全て自己の責任なんだと思う。
なんでこんな話題を書いているのかと言えば、
昨夜は仕事でのトラブルで本当に生きた心地がしなかったから。
一日経った今でも自信がなくなっているのは事実だし未だにナーバスなのはどうしてだろう。
誰かのせいにだけはしたくないと強く思うのはなぜだろう。
自分のこころの中だけでもこっそり、いや、堂々と人のせいにしてしまえたら
どんなに楽なのだろうと思うのだけど
それが出来ない性格になってしまったのはきっとこれまでの数社の会社で
社会人経験として得たさまざまな出来事が原因なのかもしれない。
もっと楽になれたらいいのだけどそうできない自分がいるのだ。
原因を追究したりこういう事実があったという結果を報告する時に
“○○さんがちゃんと教えてくれていたらこうはならなかったのに”とか、
“上司から同僚から聞いていませんでした”とは口が裂けても言えないわけで
結局は自分があらゆることを想定し調べたり、確認を取ったり、
十分な知識を持っていなかったことが悪い、それだけだ。
これまでの会社ではよく“○○さん(私のこと)が言ってくれなかったから
こうなったんじゃありませんか。どうしてくれるのですか”や、
先輩にあたる人の顔色から(あなた(私のこと)がこういうミスをしたということは
まるで私がちゃんと指導していなかったかのようじゃないのよ!まったく)という場面が多く
言葉にならないほど深く突き刺さる衝撃を受け、人間不信に陥り、
時には手が震えてしまうほどの恐怖を覚えたものだった。
一人当たりの責任がとても重かった。どんな仕事ももちろん責任は重いわけだが。
いつのまにか私の性格ははっきりと自分の意見を言う前に
相手の立場に立って相手が私から言われることによって
不快な思いをしないような発言をできるだけしたいと思うようになったと同時に
それが影響してかYES!NO!のはっきり言えない自分になりつつある。
私は自分の意思で現在の状況を選んでいる。
私はシングル。誰かに選んでもらったわけでもなく、
誰かの流れに乗った状況でもなく、
誰かに大きな迷惑を掛けてまで日々生活をしている状況でもない。
だからすべては自己責任ということばに行き着いてしまうのか。
労働する事によって給与をもらうわけだから責任の度合いや労働力の度合い、
その人にしかできない特別な技能、世間体を考えると誰もがやりたがらない
辛い仕事になればなるほど報酬が高くなるのは当然。
時には明らかに自分のミスではなくても大きな声で罵られる時もあるし、
ひたすら謝罪し続けなければならない時もある。
胸はどきどきするし、生きた心地がしないし、食欲もなくなるし、
落ち着いた頃にはなみだがぽろぽろと音もなくただただ流れる。
私自身がもっと強い精神力を持っていたら
涙のコントロールができるのだろうけど
どうしても出来ない。まだまだだなぁといつも反省。
そういう状況の時にこころのなかで誰かを責めるほど
こころが貧しくて醜いことはないと私は思う。
責任のある仕事をしてそれなりの報酬をもらっている身なのだから
全て自己の責任なんだと思う。
なんでこんな話題を書いているのかと言えば、
昨夜は仕事でのトラブルで本当に生きた心地がしなかったから。
一日経った今でも自信がなくなっているのは事実だし未だにナーバスなのはどうしてだろう。
誰かのせいにだけはしたくないと強く思うのはなぜだろう。
自分のこころの中だけでもこっそり、いや、堂々と人のせいにしてしまえたら
どんなに楽なのだろうと思うのだけど
それが出来ない性格になってしまったのはきっとこれまでの数社の会社で
社会人経験として得たさまざまな出来事が原因なのかもしれない。
もっと楽になれたらいいのだけどそうできない自分がいるのだ。
原因を追究したりこういう事実があったという結果を報告する時に
“○○さんがちゃんと教えてくれていたらこうはならなかったのに”とか、
“上司から同僚から聞いていませんでした”とは口が裂けても言えないわけで
結局は自分があらゆることを想定し調べたり、確認を取ったり、
十分な知識を持っていなかったことが悪い、それだけだ。
これまでの会社ではよく“○○さん(私のこと)が言ってくれなかったから
こうなったんじゃありませんか。どうしてくれるのですか”や、
先輩にあたる人の顔色から(あなた(私のこと)がこういうミスをしたということは
まるで私がちゃんと指導していなかったかのようじゃないのよ!まったく)という場面が多く
言葉にならないほど深く突き刺さる衝撃を受け、人間不信に陥り、
時には手が震えてしまうほどの恐怖を覚えたものだった。
一人当たりの責任がとても重かった。どんな仕事ももちろん責任は重いわけだが。
いつのまにか私の性格ははっきりと自分の意見を言う前に
相手の立場に立って相手が私から言われることによって
不快な思いをしないような発言をできるだけしたいと思うようになったと同時に
それが影響してかYES!NO!のはっきり言えない自分になりつつある。
私は自分の意思で現在の状況を選んでいる。
私はシングル。誰かに選んでもらったわけでもなく、
誰かの流れに乗った状況でもなく、
誰かに大きな迷惑を掛けてまで日々生活をしている状況でもない。
だからすべては自己責任ということばに行き着いてしまうのか。
by chloe_chloe
| 2006-04-21 12:11