誘発入院から出産まで。
2009年 04月 26日
出産からだいぶ経ちましたが自分のための記録として
経緯を残そうと思います。
赤裸々に綴りますのでプレママさんや男性は
飛ばしたほうが良いかもしれません(笑)。
週末に陣痛が訪れなかったことで
予定通り6日にいよいよ入院することとなりました。
もう先が見えない生活にもさよなら。
先週の検診で6日に入院という予定が決まったことで
6、7、8日あたりにはもう産まれるだろうと
私の中で予定を立てることができていたので
ここ2,3日は気持ちがとても落ち着いていられることができました。
入院となると帝王切開になり長期的に身動きが取れなくなる事等も考えられたため、
検診の後にすぐ美容室に予約の電話を入れ髪を切ったり、
冷蔵庫の食材の計画的な使い方ができたり、
残される夫のために家の中を整理したりして
6日は清々しい気持ちで朝いち入院準備品を持って病院へ向かいました。
そういえば週末にすこしおしるし(茶色のおりものがすこし)があったのと、
入院当日の朝は赤い血の明らかなおしるしが見られ、
誘発しなくてもそろそろ陣痛が来るのではという状態になっていました。
病院に到着し、まずは分娩室に直行。バルーンを入れますとの事。
すこしでも陣痛がくるよう浣腸をし、
お昼前にプラスチックでできた風船のようなものを入れました。
その後病室のベッドに横になるとその後すぐ、
14時くらいから5分間隔の陣痛が来て、
鮮やかな出血が増え、だいぶ下腹部が痛くなってきました。
夕方あたりまではまだ歩いたり会話ができる状態でしたが
いよいよ22時くらいからは5分間隔の陣痛の痛みがピークとなり
1分くらい続く陣痛の間はベッドの柵を思い切り握っても我慢が出来ず
痛みで叫びたくて声が出てしまうほど。
しかし5分間隔から時間が縮まらないこととまだ我慢できている状態から
子宮はさほど開いていないのではと言われ、
この状態でひたすら何時間もベッドで我慢。
歩けないくらい辛い状態になり朦朧とした状態で
長い廊下を歩き内診してもらったところ
朝方にやっと子宮が7センチまで開いてきたためやっと分娩室へ移動。
立会いを希望していたためそろそろご主人を呼んだらいかがでしょうかと言われ、
早朝4時に自宅で寝ている夫を呼びました。
(ということはもう産まれるのも近いのかなと期待していたのですが、
なんとこの先まだまだ産まれないのでした。)
この時すでに、今まで味わったことのないほどの陣痛の激痛に、
もう耐え切れない状態。
3分間隔くらいで陣痛が来ると口に濡れタオルを当て大声で泣きながら叫び、
夫と助産師さんに腰をさすってもらってひたすら耐え続けるということが
正午まで続きました。
もう声も枯れ果て、涙も止まらず、体力も限界の状態に、
もう赤ちゃんのことは考えられない、すべてを投げ出したい、
今すぐ中断したい、どうにでもしてほしい。
あと一回陣痛を我慢したら終わる、終わるのよ、と陣痛の度、
自分をだましだまし耐えてきましたが
この状態は一体いつまで続くのだろうか・・・。
もうすぐかわいい赤ちゃんに会えるという気持ちを持ち続けることさえもうできない。
もうどうにもこうにも無理・・・と心も体も限界になっていて放心状態。
熱もあり、汗はびっしょり。助産師さんはそんな私に献身的で
子宮がもっと開くよう足湯をしてくれたり、椅子に馬乗りになっている私に対して
膝をついておっぱいマッサージを長時間してくれたり。
感謝したいけれど言葉も出ないし余裕もなくて
本当に味わったことがないほどの状態。
夫は5時前から片時も傍を離れず陣痛時に腰をさすってくれていて
夫でさえももう限界な状態だったと思います。
しかし内診してもらうとまだ8センチくらいとの事で、
私の状態をみて正午過ぎに陣痛促進剤を点滴することに。
促進剤が効いてきて更なる激痛にもう号泣で涙が止まらない状態なのに
陣痛の間隔がまだ短くならず赤ちゃんの向きが
どうも産まれる状態にまだなっていないとのことで
ここでスクワットをしましょうと言われ、
死ぬ思いでその場でスクワットをしたりしました。
激痛の陣痛に耐え続けて15時間ほどでしょうか、
やっと出産できるまでの10センチに子宮が開き
赤ちゃんの向きも問題ないとのことで、
14時過ぎ位でしょうか、分娩の準備が始まりました。
いきんでは駄目と言われ続けて
これまで何十時間もひたすら我慢していたのが一転して、
呼吸に合わせてとうとういきんでも良いとのことで思い切りいきむと
あっという間ににょろにょろ~と赤ちゃんが産まれたのでした。
経緯を残そうと思います。
赤裸々に綴りますのでプレママさんや男性は
飛ばしたほうが良いかもしれません(笑)。
週末に陣痛が訪れなかったことで
予定通り6日にいよいよ入院することとなりました。
もう先が見えない生活にもさよなら。
先週の検診で6日に入院という予定が決まったことで
6、7、8日あたりにはもう産まれるだろうと
私の中で予定を立てることができていたので
ここ2,3日は気持ちがとても落ち着いていられることができました。
入院となると帝王切開になり長期的に身動きが取れなくなる事等も考えられたため、
検診の後にすぐ美容室に予約の電話を入れ髪を切ったり、
冷蔵庫の食材の計画的な使い方ができたり、
残される夫のために家の中を整理したりして
6日は清々しい気持ちで朝いち入院準備品を持って病院へ向かいました。
そういえば週末にすこしおしるし(茶色のおりものがすこし)があったのと、
入院当日の朝は赤い血の明らかなおしるしが見られ、
誘発しなくてもそろそろ陣痛が来るのではという状態になっていました。
病院に到着し、まずは分娩室に直行。バルーンを入れますとの事。
すこしでも陣痛がくるよう浣腸をし、
お昼前にプラスチックでできた風船のようなものを入れました。
その後病室のベッドに横になるとその後すぐ、
14時くらいから5分間隔の陣痛が来て、
鮮やかな出血が増え、だいぶ下腹部が痛くなってきました。
夕方あたりまではまだ歩いたり会話ができる状態でしたが
いよいよ22時くらいからは5分間隔の陣痛の痛みがピークとなり
1分くらい続く陣痛の間はベッドの柵を思い切り握っても我慢が出来ず
痛みで叫びたくて声が出てしまうほど。
しかし5分間隔から時間が縮まらないこととまだ我慢できている状態から
子宮はさほど開いていないのではと言われ、
この状態でひたすら何時間もベッドで我慢。
歩けないくらい辛い状態になり朦朧とした状態で
長い廊下を歩き内診してもらったところ
朝方にやっと子宮が7センチまで開いてきたためやっと分娩室へ移動。
立会いを希望していたためそろそろご主人を呼んだらいかがでしょうかと言われ、
早朝4時に自宅で寝ている夫を呼びました。
(ということはもう産まれるのも近いのかなと期待していたのですが、
なんとこの先まだまだ産まれないのでした。)
この時すでに、今まで味わったことのないほどの陣痛の激痛に、
もう耐え切れない状態。
3分間隔くらいで陣痛が来ると口に濡れタオルを当て大声で泣きながら叫び、
夫と助産師さんに腰をさすってもらってひたすら耐え続けるということが
正午まで続きました。
もう声も枯れ果て、涙も止まらず、体力も限界の状態に、
もう赤ちゃんのことは考えられない、すべてを投げ出したい、
今すぐ中断したい、どうにでもしてほしい。
あと一回陣痛を我慢したら終わる、終わるのよ、と陣痛の度、
自分をだましだまし耐えてきましたが
この状態は一体いつまで続くのだろうか・・・。
もうすぐかわいい赤ちゃんに会えるという気持ちを持ち続けることさえもうできない。
もうどうにもこうにも無理・・・と心も体も限界になっていて放心状態。
熱もあり、汗はびっしょり。助産師さんはそんな私に献身的で
子宮がもっと開くよう足湯をしてくれたり、椅子に馬乗りになっている私に対して
膝をついておっぱいマッサージを長時間してくれたり。
感謝したいけれど言葉も出ないし余裕もなくて
本当に味わったことがないほどの状態。
夫は5時前から片時も傍を離れず陣痛時に腰をさすってくれていて
夫でさえももう限界な状態だったと思います。
しかし内診してもらうとまだ8センチくらいとの事で、
私の状態をみて正午過ぎに陣痛促進剤を点滴することに。
促進剤が効いてきて更なる激痛にもう号泣で涙が止まらない状態なのに
陣痛の間隔がまだ短くならず赤ちゃんの向きが
どうも産まれる状態にまだなっていないとのことで
ここでスクワットをしましょうと言われ、
死ぬ思いでその場でスクワットをしたりしました。
激痛の陣痛に耐え続けて15時間ほどでしょうか、
やっと出産できるまでの10センチに子宮が開き
赤ちゃんの向きも問題ないとのことで、
14時過ぎ位でしょうか、分娩の準備が始まりました。
いきんでは駄目と言われ続けて
これまで何十時間もひたすら我慢していたのが一転して、
呼吸に合わせてとうとういきんでも良いとのことで思い切りいきむと
あっという間ににょろにょろ~と赤ちゃんが産まれたのでした。
by chloe_chloe
| 2009-04-26 09:41
| maternity -40-41wks